- あめりかの想い出話
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- ゆりこママは中学時代をアメリカNYで過ごしている。
- その頃の思い出はほとんど忘れているが (だってもう20うん年も前の話だもんね)、 ふと思い出すこともある。 思い出したことをこれから少しずつ書いてみたいと 思う。
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「俺のつくったもん食えねえのか?」
- まだ渡米まもない頃、キッチン用具などはみな船便で届くことになっていたので、
- 外食で済ませることが多かった。
- そんなある日、家族で近所のカウンターバー形式のカフェテリアに入った。
- 確か私はハムチーズサンドを頼んだと思う。
- 待っている間、横に座っている女性の食事をみていた。
- 彼女は体重100kgを軽く超えているように思われた。
- 厚さ20cmほどのケチャップソースたっぷりのハンバーガーを二つにコーヒーカップ3杯ほどの
- 山ほどのポテトフライを次々にたいらげていた。
- 私はハンバーガー1つでおなかいっぱいになるのにと、驚きながら見ていた。
- そしたら、あいよ!っと腕に錨のいれずみをし、白いそでなしシャツをきた鼻ひげのあるコックさんが
- カウンター越しから私が頼んだサンドイッチを差し出した。
- それをみて声にならない叫びをしてしまった。
- なんとこんがりときつね色に焼かれた食パン4枚切りにはさまれた厚さ5cmのハムと
- 3枚のチーズ。パンにはべったりマヨネーズとバターがぬられていた。
- それを三角に切ったものがでーんと皿に乗っかっていた。
- 日本ではサンドイッチといったら、一枚のハムに一枚のチーズが
- きれいに耳をおとされた8枚切りの食パンにはさまれてくるのが普通じゃないか?
- だから、それをみた途端、食べられない!とおもってしまったのである。
- なんとか三角のサンドイッチの片割れを食べて、ごちそうさま(もちろん日本語)といって皿をのけると
- いかついコックさんがにゅうっと身を乗り出して何か言った。
- 「おいおい、お嬢ちゃん。もっとたべないと大きくなれないぞ」(父が通訳)
- でももうおなかぱんぱんなんですゥ、と手を横に振って「NO、NO」というと、
- 「なんだ。おめえ、俺のつくったもん食えねえのか。」(父が通訳)
- と怖い顔でにらまれた。
- だって食べれないもん・・・・。と半べそかくと、
- 母が気を利かして言ってくれた。
- 「持ちかえって食べますのでつつんでくださいな」(父が通訳)
- やっとコックさん笑顔にもどる。
- そのとき、横の100kgのおばさんが追加注文した。
- 「チョコレートパフェひとつね」
- え?まだ食べるのか???
- で、出てきたパフェをみてまた驚いた。
- 高さ30cmはある、巨大なチョコレートたっぷりのパフェが出てきた。
- おばさんは上手そうにそれを3分でたいらげた。
- ああ、アメリカってほんとうに豊かなんだと妙に感心してしまった。
「新聞、く、ください」
- うちの父は娘達の教育にとても熱心だった。
- なかなか英語をおぼえようとしない私達(妹と私)にある日こう宣言した。
- 「これから毎週土日はおまえたちが新聞を買って来い。
- かわりばんこにひとりでだ。」
- え〜!
- うちは当時まだ新聞をとっていなかった。
- マンションの目と鼻の先にあるKIOSKみたいなスタンドで新聞買っていた。
- 平日はたぶん父は会社で読んでいたので、土日しかとる必要性がなかったんだろう。
- しかし、この宣言のおかげで毎週土日の朝はつらくなった。
- はじめてそのスタンドに行ったとき、
- あまりにも声が小さかったらしく、気前のよさそうなお兄さんにはWHAT?(へ?)といわれて
- おしまい。ひっきりなしにくる他の客におされて、端っこで立ち尽くすばかりだった。
- 2度目はどうにか「NEWS、NEWSPAPER P、PLEASE」(新聞く、ください)と言えた。
- だが、お兄さんにまた言われた。
- 「WHICH ONE?」(どの新聞がほしいんだい?)
- え?そんなの知らない。
- というわけで多分これだろうと思われる分厚いNEWYORK TIMES日曜日版
- を指し示した。
- 果たしてそれは正解だった。
- 3度目に行ったときはだいぶお兄さんともうちとけ、
- 「OH!YOU AGAIN」(やあ、又きたね)とまで言われるようになった。
- でも、そこではじめて気がついたことがあった。
- はじめの2回、買うのに必死でつり銭数えていなかった。
- アメリカ人は引き算でつり賎を渡さない。
- 1ドル50セントに10、20、30、40、50セントと足していって、手のひらに乗せて
- これでおつり全部だ、と言う。
- その方式に慣れていなかった私はお兄さんがまちがえて
- 1ドル50セントに10、20、30セントまでしか足していなかったことに気がついていなかった。
- お兄さんは決してワルなのではない。案外と計算が苦手な人が多いのだ。
- だから、うちに帰って父に新聞とつり賎を渡すと、いつも父はおかしいなあという顔を
- していたっけ。
- さすがに10度目ぐらいになるとつり賎をまちがえられたら、
- 「NO、NO、20CENTS MORE!」(ちがうよ、あと20セントつり銭くれよ!)
- といえるようにはなっていた。
- いつしか、英語もどうにか話せるようになった数ヶ月後、
- 土日の朝の新聞買いから解放された。
- 自分から話さないと言葉はおぼえないということを学んだ一件だ。
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- 「味噌としょうじょうばえで大騒ぎ」
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- 6年生のとき、ある日、理科の実験でしょうじょうばえを培養するので培養に適していると
- 思われるものを持ってくるようにという宿題が出た。
- これはもう日本でやったことがあるぞと自信満々のゆりこママ。
- ビニール袋にお味噌を沢山つめこんで翌日学校に行った。
- そして、理科の時間にそのビニール袋をとりだすと、
- あたりが騒然とした。
- みんなきゃーきゃーいって逃げて行った。
- 「なんでそんなものをもってくるのよ〜!」
- 「どうして手で触れられるの〜!」
- 「臭い〜」
- 「もうちょっとものごと考えてもってきてよ」
- 「先生、OOちゃんが大変なものをもってきたの」
- というわけで、先生が見にきた。
- だが、先生も味噌をみるやいなや、
- 「それは困ります。捨ててきなさい」
- あ〜みんな何か勘違いしてる。
- 気付いた私は一生懸命つたない英語で味噌がなんであるかを説明した。
- 「これはね、大豆を発行させてつくった食べ物なの」
- ここでまた友達全員が「OH NO!食べるなんて信じられない。日本人はクレイジーだ!」
- どうしてもみんなにはあれにしかみえないようだ。
- そう、人間様の下痢糞。
- 臭いも確かに独特だし仕方がないのかもしれない。
- それに糞もしょうじょうばえの好みだものね。
- その日一日中、友達は私を遠巻きにしてみていた。
- 今ではMISOSOUPと呼ばれ、アメリカ人に好まれる日本食も
- 20数年前では、げてものにすぎなかったのである。
<以下、これからの予定>
「日米入学のときの友達の反応のちがい」
「私、カトリックじゃないのに食べちゃった」
「おおまじめにANALってなんですかと聞く」
「ごきぶりの昆虫標本って?」
「うめぼしと海苔巻の説明に困る」
「ロングアイランド海岸で拾った海草で味噌汁食う」
「三博士の訪問を祝うケーキで幸福を得る」
「ロードオブリング全部読んだ」
「16Fを襲ったスパイダーマンのような化け物の夢」
「隣の坊やのベビーシッターで叱られたこと」
「隣のうちの賢い犬:エレベータを止める」
「卵を10Fから落とす物理の実験」
「ピザとアイスクリームとはちみつりんご棒」
「中華街の飲茶は安い」
「やっぱりハーレムを歩くのは怖い」
「おやつにTボーンステーキ、お土産に金めっきののブレスレットだった中国系の女の子」
「日本語教室と漫画読みまわし」
「クリストリングルでジンジャーブレッドをもらう」
「THANKSGIVINGの七面鳥」
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