★病気にまつわる話★
赤痢
- メキシコに出張したときのこと。
- 自分一人の出張なら楽なのだが、英語もスペイン語もわからない技術者を連れて行くことになったため、出張準備でかなり疲れていた。
- 先に到着し、後から来た技術者を出迎えにメキシコ国際空港にタクシーで行った折、その技術者が山のような荷物を持っていたため、幾つか持ってあげた。
- そのとき、自分の黒いショルダーバックがずりおちて腕からはずれているのに気付かなかった。
- やはり疲れていたとしか思えない。
- タクシーを降りて宿泊先のホテルの受付けに来たときはじめて自分のバッグをタクシー内に忘れたことに気付き、慌ててタクシー乗り場にいくがもうそこにはタクシーはなかった。
- その後、警察に盗難届を出し、カード会社に再発行依頼にでかけ、パスポートの再発行依頼のために日本大使館を訪れて怒られ、次に出張する予定だったベネズエラへの入国ビザ取得のためにベネズエラ領事館にでかけ、と、仕事以外にやることが増えてしまった。
- やっとのことで仕事を終えて、その慰労会をメキシコ人スタッフが祝ってくれた。
- 簡単に会社近くのタコス屋で昼食をとったのだが、開放感にひたりすぎたのがいけなかった。
- 生水でつくったと思われる氷の入ったジュースを飲んでしまったのだ。
- 翌朝、マイアミ経由でベネズエラにたった。
- 貴重品をなくしたメキシコを去ってほっとしたのもつかの間、マイアミに到着すると、ベネズエラにたつはずの飛行機が乗務員ストライキのため飛ばない。
- 待合室で待つこと半日、いきなりアナウンスで別の飛行機がベネズエラにたつと聞いたのは出発時刻15分前。それもその飛行機の待合室はいままでの待合室とはまったく反対側。
- 飛行場の端から端へと黒人のポーターさんにチップはずんてスーツケースを運んでもらって廊下を走った。
- そのとき、まだ体内で赤痢菌がひそかに増殖していることには気付かなかった。
- 無事ベネズエラ行きの便に時刻すれすれに乗ると、なんかお腹がきりきり痛い。
- 手持ちの整腸剤を飲んだ。
- しかし、なんかもようしそうである。
- まだ上昇中でシートベルトつけていないといけないのに、スチュワーデスに頼み込んでトイレにかけこむ。
- 正露丸(下痢止め)も飲んだのにまだきかない。
- ずっとたれながしである。
- トイレの扉をたたく音。入ってますと消え入る声で何回も叫んだ。汗がしたたり落ちる。
- でもトイレからたつことができない。
- スチュワーデスさんにも薬ないかと尋ねたがないと言われていた。
- このままトイレにとじこもたままベネズエラに行くのか。実はそうだった。
- 4時間のフライト中ずっと私はトイレにたてこもっていた。
- 着陸体制に入るときもトイレの中。とんだフライトだ。
- 着陸して最後にトイレから出てきた私にスチュワーデスさんたちは大丈夫か?といってくれたが、意識朦朧としていた私は手を振り払うだけでせいいっぱいであった。
- そのまま横腹をおさえつつ、スーツケースを荷物到着広場からひろって税関に並んだ。
- 夜中1時到着の便であったので、税関史はたったの2人。
- 長蛇の列が苦痛だった。座り込んで四つん這いになって進み、あれこれ考えた。
- ああ、もしかしたら、これは赤痢か?症状からしてそうだ。
- 私は伝染病この税関でメキシコに帰れって言われるかもしれない。立たないと。
- あ、そうだ、迎えにくる先輩に何時に着く便か伝えていない。
- 夜中の空港でタクシーに乗ってホテルまで行くことになるのか。
- 汗をだらだら流しながら列を前に進むと最後の力をふりしぼって2人手前で何事もなかったかのように立ちあがった。税関史にはなんでもいいからすべてOKと言ってどうにか空港ロビーに出ると、見慣れた会社先輩の顔があった。
- あ〜助かった〜と思うや、先輩はどなった。
-
- 「ばかやろう!何時につくか言ってからこい」
-
- もうマイアミでの出来事がどんなに急で電話する時間もなかったのか言うのもめんどうになった私。
-
- 「ええ、ばかやろうです。ついでにもっとばかやろうです。お腹痛いんです、病院連れて行ってください」
-
- 「あ!おまえ、やられたな。明日まで我慢しろ。いいな。英語の通じる病院に連れて行くから」
-
- というわけで、夜中ずっとホテルのトイレとベッドを行ったり来りして一睡もせず過ごした。
- 明くる朝、先輩のかわりにからだの大きな女性秘書がきてくれた。
- 病院にいくよ、と言ってくれたが、なんか言葉が通じなさそうなので、辞書を持ってタクシーででかけた。
- 行った先は私立の病院。南米では公立病院は危ない。
- 予算不足で注射針の使いまわしで猛威をふるってるエイズに感染する恐れがあるからだ。
- だから高いかもしれないが、私立に行く。私は会社のかけた保険で支払うから問題なし。
- で、つくや否や、医者はスペイン語で話し掛けて来た。英語じゃないのかよ〜。
- いくらスペイン語少しはわかるとはいえ、医学用語知らないよ。
- お互いちんぷんかんぷんなので、医者はシャーレをみせて身振り手振りで大便を取れと言った。
- やっと理解した私はトイレで下痢便を取ると検査室に渡した。
- 果たして数分後、医者によばれ、スペイン語で病名を告げられた。
- その場で辞書をひいて「赤痢」と読み、うなずいた。
- そしてまた、点滴をするからという仕草をして、GETARADE(日本で言うポカリスウェットのようなものだ)を沢山飲め、と言って医者は去った。
- それから30分車椅子に座ったまま、点滴を受けた。かなりの脱水症状だったようだ。
- 安心して少しうとうとした。
- それから薬局で医者の処方箋を出して、薬をもらいホテルに帰った。
- その後1週間私はホテルで天井をながめながらじっとしていた。
- 薬はものすごい効き目で3日目には便秘になった。
- たまたま、旅でさみしくならないようにともってきた小さなウルトラマンのぬいぐるみに抱き着いて
- 涙で枕をぬらした。
- 東京の会社に電話すると、上司はつたなく、伝染病だと?空港で隔離されるから絶対帰ってくるな、いいな!と
- 言って電話をがちゃっと切った。
- 悲しかった。少しは大変だったろうに、て言ってくれてもいいじゃないか。
- ちなみにこの上司はペルー初出張のときの上司と違う。
- 母にも電話したが、会社の言う通りにしなさいと一点張り。
- 誰もなぐさめてくれない。つらくなってついに、毎日通ってきてくれる女性秘書に抱き着いてわーわー泣いた。
- 日本語でつらいよ〜つらいよ〜と叫んで。言葉がわからないなりにも彼女はお母さんのように大きな体で私を
- ぐっと抱いて大丈夫だよってつぶやいてくれた。
- 彼女は本当にやさしかった。ちょっとあつかましかったが。
- 赤痢をなおすのにはこれがいちばんなのだといって、オレンジ色のまったりとしたくさい南国フルーツのジュースを500ML飲めと毎日のように強要したのには参った。
- ある日、彼女は、現地法人の社長婦人(日本人)からのことづけだといって、ポットらしきものをおいていった。
- なんだろうと思って開いて見ると、ポットの中にはおかゆにうめぼしがひとつ、そして、かぼちゃのうらごしスープが
- 二層になって入っていた。
- 涙がぼろぼろとこぼれた。私は見捨てられていなかった。
- 私のことを心配してくれる人がいるんだ。ありがたい、ありがたい。
- 小さな手紙には書いてあった
- 「大変でしたね、インスタントのおかゆですがこれがいちばん胃にやさしいと思いまして」
- 涙の塩で味付けしながらありがたく頂戴した。
- 生きている中でいちばんおいしかったご馳走だった。
- 二週間結局仕事せずに帰ることになった。もういちど便の検査をして医者の帰国許可をもらった。
- 少しだけと思って力をふりしぼってベネズエラ人の仕事の状況を聴取してファックスを日本の会社に送った。
- 現地法人の日本人の技術者の方が某商社に勤めていたとき私と仕事を一緒にしていた女性がNYにいるというので、NYに立ち寄って一泊の上、日本に帰りなさいと言って航空便の変更手配をしてくれた。
- メキシコに電話したら、メキシコ現地法人の人達は大笑いした。
- ばかやろう、と思ったが何も言わなかった。
- 後年、笑った者全員が赤痢になって同じ苦しみを味わったから弱った人を笑うものでないということを学んだはずだ。
- ベネズエラをたち、NYに着いたときは夜だった。
- 空港まで某商社に勤務していた女性がご主人と待っていてくれた。うれしかった。
- 時は12月中旬。NYの五番街はクリスマスの飾りつけでそれはそれはきれいだった。
- 何か食べたいか、と問われたが、まだ胃の調子がいまいちだった私は、
- すうんどん、が食べたいと言った。
- 昔NYに住んでいたがこんなに日本食やが増えているとは思わなかった。
- それでも、うどんやはなかなかなく車でうろうろとした。やっとみつけ、そこで、すうどんととうふを食べた。
- いっしょにいた女性はすまなそうに言った。
- 「お腹の調子よけれが我が家にお招きしてチキンをご馳走できたのにね」
- でも、私にとっては、すうどんととうふが最高のもてなしであった。
- その後、五番街のロックフェラーセンターのクリスマスツリーを鑑賞し、昔通っていた学校や住んでいたマンションのあたりを車でまわってもらった。
- 明日にはもうNYをたつので、これでおしまい。暖かい早めクリスマスを楽しんだ感じだった。
- ホテルで別れ眠りにつくともう朝になった。
- 日本への帰国便に乗ってひたすら眠りつづけ、成田につくと、黄色い紙を税関で渡された。
- そこには”伝染病にかかった方はお申し出ください”と書いてあった。
- もちろん、私はその紙を破り捨てた。
- 家路につき、それから1週間ぐらい薬を飲みつづけてやっと赤痢菌は一掃された。
- この赤痢は疲れからきたものだったと思う。大変だったが人の温かさという貴重な宝物を得た体験でもあった。
- 私は不安神経症で2ヶ月入院治療していたことがある。といってもすることは毎日、医師から精神療法
- (つまりはカウンセリング)を受け、必要な薬を飲むだけ。だから一日のほとんどは暇な時間を過ごす。
- そんな暇な時間中で起きた出来事を少しだけ話そう。
-
- ミント
-
- 病室に身長170cm体重35kgの17才の女の子が入ってきた。
- 食べるときに使うおはしは使い捨ての割り箸、コップは使い捨ての紙コップ。
- ドアノブに触るときは手袋をする。食べる量も一口サイズ。
- あきらかに重症の拒食症患者。
-
- 痛々しい彼女との交流は花ではじまった。
- いつも病室にお母さんが花屋から買ってきた一輪の花を置いて行くのだが、
- 彼女はその花の絵を丁寧に色鉛筆で描いていた。
- 食べることもせず、栄養点滴の管を腕につけたまま、ベッドのふとんの上で
- ひたすら描きつづけていた。そんなに面白いのか、と思った。
- すべてを拒否しているのに花だけは拒否しない。これは不思議だ。
- そこで、私も絵の才能はないが、絵を描く趣味があったので、ときよりその花の絵が
- 完成すると、批評することにした。
- でも、いつもいうことは同じ。
- 「やっぱりXXちゃんの絵は上手だねえ」
- 人はそういわれるともっとやる気になるものだ。
- いつしか私が見に行かなくても、彼女の方から見せに来てくれた。
- ある日、私は言った。
- 「生のお花が触れるようにほかのものも触れるようになるといいね」
- そしたら、翌日、ドアのノブに素手で触れた。
- すかさず、「あれ〜触れるんじゃないの〜よかったね〜」と言って笑った私。
- 内心びっくりしたけど。
- それからは速かった。
- 紙コップが普通のコップにかわり、割り箸がふつうのお箸に変わった。
- しかし、変化は速や過ぎた。
- 突然、ある日、彼女は泣きながら病室に飛び込んできて、また食べなくなった。
- もちろん、コップもお箸ももとどおり。
- なぜ泣いてしまったのかはしらないが、こころの病はゆっくりと回復しないと
- 反動で逆行することがある。
- それでも、そんな中、彼女は絵は描きつづけていた。
- それをみて、私は思いきってあることを彼女に申し出た。
- 「庭を散策しませんか?」
- 「庭にはたくさんの花が咲いているよ。私、案内してあげようか。」
- 花、と聞いて彼女は頭をあげて言った。
- 「でも私、ドア触れない。花触れない。だから外、いけない。」
- 「じゃあ、手袋していけばいいじゃない。何も触れといってるわけじゃないわ。
- 花は匂いをかぐこともできるし見る事もできるでしょう。」
- ふと黙ってうつむく彼女。
- 私はもう行く準備をして、たちあがった。
- 彼女もそれにつられるような形でたちあがった。
- ドアノブは私が開けた。
- それから庭に出た。
-
- 初夏の庭は草がおいしげり、ひまわりやバラ、赤や黄色やピンクの名の知れぬ花がさきほこっていた。
- 病棟の屋根先の棚には南国のフルーツ、パッションやキウイの実がなっている。
- そういった花や果樹を植えた人達は別病棟にいるアルコール症患者である。
- 庭仕事のような簡単な作業労働をすることもアルコールから抜け出す一つの方法なのである。
- 私はのんびりと歩きながら、まだ青いすすきの穂で足元をけちらしていた。
- バラ園にたどりつくと、私は彼女に言った。
- 「きれいだね、バラ好きでしょ。いつも絵に描いている。匂いかいでごらん。」
- 匂いをかぎながら、ふと花びらに触れた。手をひっこめた。
- 「怖い?」
- うなずく彼女。
- 「バラは怖がっていないよ。触ってほしいと思っているよ。
- 一生懸命生きているから触ってほしいんだよ。触ってほしいからいい香りを放つんだよ。」
- 黙ったままの彼女だったが、何か考えていた。
- ハーブ栽培が好きな私は草ぼうぼうのところで自然のハーブをみつけるのが好きだ。
- その日もみつけた。
- 薄紫色の房のような花を咲かせたペパーミントが生い茂っているところがあった。
- そこでたちどまり、私は言った。
- 「ほら、これミントよ。いい香りがするでしょう?かわいい花だね。葉っぱに触ってごらん。
- いい香りがするから。ああなんていい空気なんだろう!」
- 黙ったままの彼女だったが、手がのびた。でもあともう少しのところで手をひっこめた。
- 「これってね、食べられるのよ。消化促進剤なの。」
- といってむしゃむしゃたべてみせた。
- 「さっきも言ったけど、自然ってさ、やさしいよね。目がみえなくても香りやそよ風にたなびく草の音がきこえる。
- 耳がきこえなくても香りをかぐことができるし触れる。手足が不自由でも香り、音、味を楽しむことができる。
- こんなにやさしいのってほかにないよね。これからも一人で庭を歩き回ってみな。自然とお話できて楽しいよ。」
- いささかかっこつけていったような気もするが、思っていることは事実だ。
- そしてその日の散策は終わった。
- その後、彼女との散策はなかった。
- それから1年後、病院に用事があってでかけると受付のおねえさんが、預かり物があります、と言った。
- 手渡されたのは1通の封筒。中には手紙と写真が添えられていた。
- お久しぶりです・・・ではじまった手紙には、体重が増えたこと、高校にも復帰したこと、ある芸能人の
- ファンになっていて、まだ通院中だけれども友達もたくさんできて毎日楽しいこと、
- そして、最後にこう書かれてあった。
- 「PS:そうそう、病院の庭で一緒に見つけたミント、家に持って帰って植えたらすごい大きくなっています!!」
- 彼女からの手紙が1週間前に託されていたのだ。
- 私がいつまたこの病院に訪れるかもどうかもしれないのに、この偶然はなんだろう。
- 写真にはふっくら笑顔の彼女が写っていた。
- すごく大きくなったというミントはさぞかし彼女から沢山の愛情をそそがれているのちがいない。
- 1年も前のことを覚えていてくれた彼女に目頭があつくなった。
-
- きっとこれからも過食症になる危険もあろう、大人になる過程でまたつまづくこともあろう。
- でもきっと、彼女は私と同じようにミントをみるたびに、彼女を必要としている人や物が
- あり、その人や物が彼女に触れてほしがっていることを思いだし、
- ハーブ(香る雑草のようなものだ)のように力強く生きていくのではないかと思うのではないかと、
- ちょっぴり安堵した私であった。
- 人は必要とされていると思うと生きられるのである。
-
- カラオケ
-
- 心の病で休みにくる病院の楽しみのひとつにカラオケがある。
- カラオケは患者に限らず看護士さんたちにとっても数少ない楽しみであったようで
- よくカラオケ大会が行われた。
- といってもふるぼけたカラオケボックスに最新というよりなつかしのメロディのディスクが数枚だけで
- 集会所の畳コーナーが舞台というものであったが。
- そんな中、私はよく歌わされた。
- 私自身、病室にCDプレーヤーだのウォ−クマンを持ちこみ、イヤホンつけてよく
- 最新の歌を歌ったりしていたから、求められるのはうれしかった。
- 松田聖子を歌えば、きゃーきゃー黄色い声、ZARDを歌うと、ぽかーんとした表情。
- 中でもみんな喜んでくれたのは、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の絶唱。
- 必ずカラオケ大会の締めくくりに歌わされた。
- 演技まじりに最後の津軽海峡〜ふ・ゆ・〜げ〜しき〜!!!!!を伸ばして歌うと会場は大爆笑。
- アルコール症の人も神経症の人も分裂病の人もすっきり笑顔。
- 学校で演劇部やっていたかいあったかな?
- 老人ホームの介護ボランテイアをしていたときもよくカラオケはやっていた。
- そのときも私は夕焼け小焼けなどの童謡をよくリクエストされたものだ。
-
- カラオケフィーバーは病室でもしょっちゅう行われた。
- 本当ならば、興奮しすぎて病に差し障りがある人もいるので、病室での音楽は禁止されていた
- のだが、当時の医師は黙認してくれた。
- ある日のこと、軽度の精神病、アルコール症、拒食症、嘔吐と味覚障害つきの過食症、
- リストカット(自傷癖)の5重苦のあった同室の若い主婦が、
- 彼女の病に理解のないご主人からこころない言葉をもらって動揺していた。
- 彼女は病気に苦しみながらも一生懸命家事をこなしていたのに、ご主人はそんな彼女を認めようとせず、
- 背を向けていたので、彼女は子供を産んでさみしさをまぎらわせたいと思っていたようだった。
- そこで、おもいきって、家族面会のときに、病気が治ったら子供がほしい、と言ったそうなのだが、
- ご主人は冷たく「子供は治りようのない病気を持つおまえ一人だけで十分だ」といって拒否したのだそうだ。
- 彼女は周りの人から拒否され背をむけられているから、アルコールを飲んで現実のつらさから逃れ、
- 食べることで食べないことで自分を主張し、リストカットで自分をみてほしい!と叫んでいたのに。
- 私は彼女にどうしたら自己主張する場がもうけられるだろうか、と考えた。
- そしてひらめいたのがカラオケだった。
- それも、彼女にうってつけの曲があった。
-
- 大黒魔季のOH−MENI−MITE−YO!!
-
- OH OH OH BAD DAY・・・.
FEEL SO HIGH!!
- OH OH OH BAD DAYS・・・ ・・・.
- OH-MENI-MITE-YO!!
- そしてここに愛がある限り
- 忘れま〜しょう!そうしましょう
- 恋はルンバ・人生はサンバ
- 自立している方がいい だけど家庭的なコがいい
- その上キレイでいて欲しい
- あなたの夢は果てしない
- (略)
- 厳しそうだわお母様 料理もお品もヨロシクテ
- わたしがやりますっっ!洗い物 ツルリすべった化けの皮
- OH-MENI-MITE-YO!! MITE YO!!
- 時間をかければちゃんと出来るから
- 気にしな〜いで 諦めないで
- ダイジョウブ 幸せになろうネ!!
- OH OH OH BAD DAY・・・.
FEEL SO HIGH!!
- 全部一辺に出来ない!!忙しいのはあなただけじゃない!!
- OH OH OH BAD DAY・・・.
FEEL SO HIGH!!
- たった一言がまだ言えない!!
- やりたいこと何も出来てない!!
- OH OH OH BAD DAY・・・.
FEEL SO HIGH
- もうこれ以上自分自身を見失いたくない!!
- SAY!!YEA!!
- 好きだよって聞きたかったの
- たぶん あなたのせいじゃない
- ケンカする気はなかったの
- ゴメンね もう 困らせないから・・・・・
- 愛している 世界で一番
- キラめく海のように包んであげたい
- いつだって あなたの為に
- 何かしてあげたいと思っているけど・・・・
- 歌いま〜っしょ 踊りましょ
- そしてここに愛がある限り
- 忘れま〜しょっ そうしましょう
- 恋はルンバ・人生はサンバ
- OH-MENI-MITE-YO!! MITE YO!!
- PALA-PPA-PALA-PPA-PALIRA-RAPPA-PPA
- 忘れま〜しょっ そうしましょう
- PALA-PPA-PALA-PPA-PALIRA-RAPPA-PPA
-
- この歌のテンポは文字をみてもわかるようにとても明るくラテンのリズム。
- それでいて、自己主張を強くする部分がたくさん織り込まれている辛口の詩だと思う。
- 彼女はいたくこの歌の詩が好きで何度もわたしに歌ってくれるように日頃言っていたのだ。
- だから、その日、ご主人のこころない言葉で落ち込んでいる彼女に私はもちかけた。
- 「イヤホン片方耳につけて。一緒に歌いましょう!」
- 音楽が流れ始めた。そしたら、彼女は大喜びでやせ細った手をひざにたたきつけながら歌った。
- なんどもなんどもなんども。ほんとうになんども。
- 特に「もうこれ以上自分自身を見失いたくない」という個所で目をきらきらさせながら。
- きっと病棟中にきこえたにちがいない。
- 戸口に数人の患者さんが集まってきた。
- でも、みんなやさしそうにながめていた。
- 中にはリズムに乗っていっしょに踊っている人も居た。
- 知っているのだ。彼女のこころの叫びが歌声に現れていることを。
- だから、医師も看護士も止めにこない。
- 彼女はさんざん歌い終わると、「あ〜ひさしぶりにすっきりしました〜また歌おうね」といって笑った。
-
- 自己主張ができないって本当に苦しい。
- 歌はそれを可能にしてくれる場を提供するのだ。
- そしていつかはほんとうの自己主張がしたい相手に対して自己主張ができるようにする練習になる。
-
- 歌の効用はほかにもある。またある日のこと、通称面会室というガラスでしきられて
- 音漏れしないようになっている小部屋でひとり、カセットをかけて一人カラオケをしていると、
- アルコール症の30代のおにいさんが入ってきた。
- そしてじっと私の歌に耳を傾けていた。
- すげなくして、彼はぼたぼたと涙をこぼしはじめた。
- 歌っていたのはZARDの悲恋物。
- ちょっとまってよ、と内心慌てたが、動揺かくしつつ歌いつづけた。
- そしたら、ついにはおにいさん、声をあげて泣き始めた。
- これ以上歌って興奮して暴れたら困ると思った私、歌うのをやめた。
- そして尋ねた。
- 「なんで泣くの?私、下手でしょう?」
- 「いやあZARDの歌っていいよなあ。聞いていて飽きない、もう一遍歌ってくれよ」
- 全然答えになっていない。
- 「はあ、じゃあ歌います」
- また泣き出すおにいさん。
- 「あの〜、何か想い出でもあるんですか?」
- 「いやあ、俺さ、酒のせいで彼女と別れて入院するはめになったんだけどさ、
- 本当に俺って悪いよなあって思ってさ、ZARDの歌はそいつのことを思い出させるんだよ」
- 「そうかあ、でも、その人、退院したら会えるでしょ?だからね、もう会えないみたいな言い方しないで
- 治療に専念しようよ。まあこの私でよければ、いつでも歌うよ。でも、歌を聞きすぎて彼女のことを
- 引きずったりしても困るしねえ。う〜ん。」
- そしたら、またまた涙をこぼすおにいさん。
- 実を言うと、そのおにいさんの彼女は毎週面会にきていた。
- よほど一緒にいたいんだねと思った。
- でも、自分一人でも生きていけるようにならないと酒を手放せるほど心をつよくしないと
- 彼女とは一緒になれないよ。
- そう、こころでつぶやいて、やっと酒をやめようと決意しはじめた彼のために
- 再びZARDの歌を心こめて歌った。
- アルコール症は仕事も彼女も家族もなにもかもすべてを捨ててはじめて酒を捨てる決意が
- できるかもしれないというほど社会復帰の困難な病なのだ。
- 仕事を失い、大好きな彼女から隔離され、ひとりぼっちになってはじめて、
- 彼は自分の病の愚かさに気付いたのかもしれない。
- ZARDの歌はそれに追い討ちをかけるようなものだったにちがいない。
- しかし、悔いるためには必要な歌だったのかもしれない。
-
- 人は生まれる前からお腹にいるときから、母の子守唄をきいている。
- だから、生まれたあとのその後の人生になんらかの影響があるとしてもおかしくないだろう。
- 音楽療法ってこういうちょっとしたことからできるんじゃないかな。
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