自己中心原理

 

弱い自己中心原理

「人間は自分のためになることしか出来ない。」

どんなに献身的な行為もすべてめぐりめぐって自分のためになると想定してのこと。

親が子を育てるのは、自分が死んだ後も自分の遺伝子、自分の思想を受け継いでもらえると信じ込んだ状態で安心して死期を迎えるため。

本当に死んだ後世界がどうなるのかなんて実はどうでもいい。

教師が教えるのは自分の知識をひけらかす自己満足を得るため。

上司が部下に教えるのは、継続的な利益を得るため。

人にプレゼントをあげるのは相手の喜ぶ顔を見る幸福感という自己満足を得るため。

相手の喜ぶ顔自体は実はどうでもいい。相手が泣く顔を見て幸福感を得られるなら、それでもいい。

子供が親孝行をするのは親の喜ぶ顔を見、親に優しく接してもらうため。

生命保険に入るのは、家族の安心を得て、自分が生きている間の生活を居心地のいいものにするため。

神父やシスターが人のためにつくすのは、そうすることによって自分が死後、天国に行けると思い込むことによって幸福感を得るため。

「あなたのために言ってるのよ」「私は世のため人のためにつくしている」

そういう言葉を聞くたびに、本当は自分のためだという自覚のなさにうんざりし、辟易し、頭にくる。

「人間は自分のためになることしか出来ない。」

これを「弱い自己中心原理」と名付ける。

 

強い自己中心原理

弱い自己中心原理を更に推し進めて、自分の行動のみならず、世界、宇宙は自分のためにあるとする考え方を、「強い自己中心原理」と名付ける。

観察者がいなければ、宇宙は存在しないも同じ。宇宙は人間のためにある。(強い人間原理)

他人が観察しても、その観察結果を自分が知らなければ、誰も観察してないも同じ。

本当の観察者とは唯一無二の自分だけ。

自分がいなければ、宇宙は存在しない。

自分が死ぬと宇宙は消滅する。

宇宙は自分が楽しむための空間として存在する。

嘘だと思う人は、自分が死んでみるといい。